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神戸大.comインタビュー教授インタビュー(No.03 宮下規久朗先生)

教授インタビュー 宮下教授

教授インタビュー No.03

神戸大学文学部 宮下規久朗 先生

学生時代は勉強熱心でしたか?
1,2年の時はまったくしてなかったんですけれども、3年になってからかなり美術史学の面白さにのめりこんできまして、3年生の後半から4年生にかけて大学院も意識するじゃないですか、それで勉強したんですけれど1,2年の時はだらだら遊んでましたね。でもね、もっとその時に語学を一生懸命やっておけばとか、本を読んでおけばってあとで思いましたけれども、逆にそのゆるんだ時期があったからこそ勉強を頑張れたのかなと思っています。
神戸大.comスタッフ「バイトはしていましたか? 」
ええ、バイトも各種しましたね。
神戸大.comスタッフ「たとえば何をやられていましたか?」
街でティッシュ配るアルバイトなんかはね、かなり私プロなんですよ。必ず私が差し出したら受け取ってもらえるという域まで達して、よく自分がもらうときはアドバイスしてやりたくなりますね。その渡し方じゃ誰も受けとてくれないぞっていう。
神戸大.comスタッフ「それは凄いですね。笑 ティッシュ配り以外はどんなバイトをしましたか?」
政治のですね、たとえばなんとか党とかあるじゃないですか。社会党とか。それのサクラやりましたね。選挙の時に行って聞くとかね、なんか掛け声かけるとか、結局そういう変なバイトで、ああいうのは変ないい加減な世界だっていうのはよくわかったんですよ。
以前美術館に勤めておられて、その後大学の教授になったきっかけというのはどういうところにあるんでしょうか?
わたしは学芸員になってから、今に至るまで基本的に美術史家として同じだと思ってるんですよ。職場が変わっただけで、美術館の時は義務として展覧会やったりして、大学だったら授業やってっていうので、自分のやっている研究はずっとありますから、研究者との側面ということでは変わりないんですね。ですからそれはちょっと環境が変わったくらいで、教授になるきっかけっていうのはほとんどなかったんですよね。学芸員というのは体力が大変で、一生続けられないんじゃないかなという気がしたんですね。トラックに乗って一週間ぐらいずーっと作品借りにまわるとかね、徹夜して展示するとか。それでなんとなく大学のほうがよく見えたんですよ。
神戸大.comスタッフ「実際はどうだったんですか?」
実際はね、まあ大学なりの苦労というのはありますけども、ただやっぱり体力的には大学のほうがだいぶ楽ですね。美術館はやっぱり肉体労働の世界ってのがあるんですよ。自分で展示しないといけなかったりしますから。
神戸大.comスタッフ「壁にかけたりですか? 」
そうなんですよ。壁に掛けるのもちょっとした展示会だったら自分たちでやらなきゃいけないんですよ。わたし脚立に上るのが苦手だったんですけれども高所恐怖症で、苦手なんて言ってられない世界でしたから。
神戸大.comスタッフ「相当厳しいものがあったんですね」
ただそれなりに刺激もあって面白かったですね。
神戸大.comスタッフ「人生で挫折を味わったことはありますか?」
まず大学に入る時浪人してますから、浪人の一年間というのはやっぱり非常に挫折感を味わいましたね。浪人するのは当たり前だって言えば当たり前なんですけれども、なんとなく根なし草のような感じがしたし、高校時代は全然勉強してなかったんで、浪人の一年間は本を読まないでおこうって決めたんですね。本断ち。それから展覧会も美術館もいかない、友達とも遊ばないっていう非常に禁欲的な生活してたんで、誰ともしゃべれなくてちょっとおかしくなりそうだったんですが、まあ挫折っていうかね若いころだからできたんですけれども。あとやっぱり美術館にいる時にやっぱりいろいろと仕事上のトラブルってのはありまして結構苦労はしました。たとえばね美術館で購入した作品が高いんじゃないかってマスコミからたたかれたり、税金を使って買ってるのに。学芸員が不当に画商から利益もらってるんじゃないかとかそういう風なスキャンダルがあって結構苦労しました。苦労しましたけども、挫折ってほどでもないですね。
神戸大.comスタッフ「ということは、挫折ということでは、そこまで大きなものはなかったわけですね。」
うーん。まあでも日々小さい挫折はしょっちゅうしてますよ。やっぱり。